先日、時間をいただき、観音崎にある戦没船員の碑と、陸前高田市にある、高田松原津波復興祈念公園を訪れました。
いずれも海へと向かう「祈りの場」として整えられた場所ですが、
その在り方は対照的でした。
気仙地方に向かったのは、東日本大震災より前、仕事で訪れて以来のことです。
東日本大震災から今年で15年。施設ができたのは7年前です。
「見ておかないと」という思いに背中を押されるように訪れましたが、
現地は遺構も含めて丁寧に整理された現在の風景が広がっていました。
出来事を後世に残すことの意義と、
その経験の延長線上でいまを生きる人々とのあいだにあるもの。
道の駅や展示場からなる建築の先、防波堤の上に設けられた「海を望む場」の先にある静かな海。
これは単なる復旧ではなく、未来へ進むための一つの区切りとしての
「手続き」のようなものだったのではないか——そんなふうに感じました。
いっぽう
神奈川県観音崎町にある戦没船員の碑は、
完成後55年という長い年月を通し、
潮風にあたり続け、
今もなお大きな損傷なくそこに在ります。
益子義弘先生が、吉村順三設計事務所に在籍していた30歳の作品と知りました。
白いタイル貼りの、海へといざなうモニュメントは、過度に語ることなく、ただそこに在り、指し示すことで祈りを海へと向かわせます。その力強さに、そしてその視線の先にかつて見られたであろう哀しい光景に・・言葉がありませんでした。
それぞれの土地で異なる時間を経ながらも、「祈り」の場が、
空間としてどのように表現されるのか
どのように人の心に寄り添い得るのかを
考える時間となりました。